一般論として、私たちの知っている老化というのは現象にすぎません。私たちは老化という現象を一つ一つ眺め、その本質が何であるかを知ろうとします。しかし科学的に調べれば調べるほど、老化の本質は見えなくなってしまいます。

例えば老化プログラム説。人間の正常な細胞、とくに旺盛な分裂能力を持つ繊維芽細胞を試験管内で培養した場合、どんなにいい条件に保っても60回くらい分裂するとそれ以上の分裂能力を失ってしまう。ヘイフリックという細胞学者が証明した『運命的』な老化の実験モデルです。それでは、個体の老化は分裂能力の低下で証明できるか、というとそうではありません。神経系の細胞は、生後間もなく分裂をやめてしまう。造血・免疫系の細胞は、老人から採ったものでもよく増殖するし、試験管内で適当な条件を与えると、ほとんど永久に分裂し続けます。

老化物質というのも発見されています。アルツハイマー病で脳の中に見られるアミロイドタンパクやリポフスチンの沈着。しかし、老化の本質がこういう物質なのかと言われると、それもまた現象論の一つに過ぎません。

老化は、このような現象が、重層的に様々な臓器で起こって、超システムとしての個体を崩壊させる過程であります。老化の研究というのは、どこまで剥いでも芯のでないラッキョウの皮のような印象を与えます。それは、私たちが現象としての老化以上のものを見ることができないからです。しかも老化における様々な変化は、おしなべて全身に均一に起こってくるのではありません。ある人には早く、ある人には遅い。若々しい肉体を襲う精神の老化。それは、しばしば非連続的にやって来ます。老いの後を追いかけるようにやって来るもうひとつの老い。初めて自分の老いに気づいてショックを受けたその時さえも、今となっては懐かしいというほどの、老いの重層化があります。そこには、個体の発生の過程で見られるような整合性や法則性がありません。不規則性、不連続性、重層性、非整合性、などが老化を特徴づけるキーワードです。そこから知られるように、老化というのは『悪性度』が極めて高いものです。