私達は自分の習慣と価値観を改めることができる。それは実際には容易なことではない。

習慣というものは人々の受け継いで来た文化に深く根差しているし、非常に情緒的なものに由来しているからである。そのため自分の意識的な選択の結果としてのみ、習慣の全部または一部を改めることができるであろう。

どんな変更も可能である。社会はもともと動的な存在であり、自らが作り出した必要性を受け入れなければならず、そして文イヒ的な発展が新しい習慣を作り出して行くのである。

高齢者だから無理だと言うのは、肉体的な行為を求められる場合には当てはまるが、精神的な行為の場合には、まだまだ色々な活動的な事柄を処理することが出来る。

何かを学ばなければならない、学ばないで居ると何か不安で在る。それが私の高齢者としての唯一つの思いである。

DNAについて、学べば学ぶほどに、年齢とは関係の無いゲノムの意味が読み取れる。

「DNAの生命観を考える」を書いて見て、人間の心身の病気の仕組みと働きについて、改めて自分自身を励ますことが出来ることを、多くの高齢者に知ってもらいたいと思う。

昨日まで考えなかったことを、改めて考え直せることが生きて居る、学べることの贈り物であることを知らさせる。

誰の脳の中にも、やろうとすれば、やれる能力を生み出す箇所の在ることと、その活用の仕方について、もっともっと多くの人々に知ってもらいたいのが今の私の思いでもある。

それには、先ず今の自分にとって何がやりたいか?をはっきりさせることから始まる。

高齢者として何が出来るかを考えると、随分と色々なことが出来ることが分かる。自問自答を文章に書いて見て、一層そのことを強く意識させられる。知識が記憶から引っ張り出したものであって、知恵はその知識を加工したものであると考え着くと、如何に知恵の不足した生活習慣を繰り返して居たのが反省させられる。

ここらでライフスタイルを見直して、もっともっと学ぶことの楽しさから、多くの人々へ役立てられる具体的な方法を考えるべきだと気が付く。

カウンセリングに従事して居るこのチャンスをもっと活かすべきであろう。来られる人々にもっともっと人間として、心身的にどう在ることが本当の健康として自分の身に着くかを知って頂くべきであろう。

自分自身の周りには、幸福と喜びが一杯満ちて居ることを知ってもらうには、何を話せば良いのか、十分な整理の上で、それぞれの人に合うように話合うことであろう。

学問が人の考えを納得することから始まり、人の考えないこと考えることであると解れば、今まで知らなかった意味や価値、意識を改めて考え、今まで見なかったもの聞かなかったもの、触らなかったもの等々を見たり聞いたり触ったりすることで、人の考えなかったことにたどり着けるのではないだろうか。そしてニューライフスタイルを作り出そう。