個人のアイデンティティや遺伝形質の伝達に関して問い詰めていくと、やがて男性と女性の役割や価値に対する社会の疑問が呼び起こされるだろう。もし世界的な文化的価値観の融合という傾向が続くとすると、私達は遺伝的均一性に誘われる危険を侵し、そうして、遺伝的多様性という貴重な遺産を抹殺してしまうことになるだろう。

生物のある種の性質を特別な要求に合うように仕立て直すことは今に始まったことではない。細菌や植物や動物を改良するために伝統的な育種技術が使われてきた。バラや鳩、犬や猫がその生きている証拠である。従来の育種技術では、目的を達成するのに非常に長い時間がかかった。しかし、遺伝子操作の技法は、これまでにない速度で望ましい特質を生物に与える手段をもたらす。

私達は分子遺伝学の応用には注意を私っており、また恐れを持っている。私達は組み換えDNA医薬品や遺伝子病の診断、心臓病やガンなどのある種の病気に対する遺伝的体質の診断といった肯定的な側面を知っている。いつの日か、熟練や才能に関係する遺伝的素質を決めることができるようになるだろう。しかし、同時にその悪用の可能性を恐れるのは当然である。それは私達を社会倫理の世界に引き戻すのである。

関心は広がり、大きくなっていくのに、互いに矛盾するような情報があるため、一般の人たちには、科学の進歩を理解するのが難しいということがよくある。

分子生物学は非常に速い速度で発展している新しい領域であり、その複雑な概念は理解しにくいものもあるが、よく理解されたものは明瞭に表されるものである。

DNAを酵素で切ったりつないだりすることから、遺伝子クローニングまで、組み換えDNA医薬品から遺伝子検査まで、遺伝的な病気に対する遺伝的体質の予測から新しい遺伝学によって起こってきた倫理的問題まで、遺伝子治療から感染症の撲滅まで、牛乳を生産するスーパー雌牛から凍害抵抗性の植物まで、問題はたくさある。これらのアイデアはもはやサイエンスフィクションの世界のものではなく、現実のものなのである。

よく「DNAとは何ですか?何処に遺伝子があるのですか?どのようにして遺伝形質や病気、更に性格の素質まで伝わるのですか?等の質問を受けた時に、この分野の情報がいかに断片的なものとして伝えられているかに気づかされる。

科学的発見について、その重要性を何時も単純明快な解りやすい言葉で説明することの難しさを感じます。それを真に迫ったものに思わせることは更に難しいが、より多くの人々に漫画本にでもあるような形で提供する必要も感じられます。しかし、大衆の興味を引き起こすように推測したり、真実を曲げたりする必要は全くない。

質問に対する答えを、本当に望んでいる方々に、正しい情報を提供することは、自分が知っている範囲に限って合理的な希望や推測のみ語るべきであって、単に関心を引くために想像の上だけの将来の応用を約束してはならないことである。