「人間のゲノムの配列を決定する」ということは正確には何を意味しているのだろうか。人間の遺伝物質、つまりDNA (一般的に染色体の形で観察される)は30億の塩基対からできており、相互につながって線状になっている。生命の維持や活動に必要な全ての情報はこのDNAの線状の鎖、もっと正確に言えばその独特の塩基配列に含まれている。したがって、どのようにDNAが機能するかを理解するためには、DNA分子の全塩基配列を決定する必要がある。生命の本を理解するためには、その30億の文字を読めるようにならなければならないというわけである。
人間のゲノム配列決定は、実際には他の生物種のゲノム配列決定を目指す、より広範な研究プログラムの一部と考えてよい。一つの生物種のDNA配列だけでは、その価値は極めて限られている。他の生物種のゲノム配列と比較することによって初めて、決定した配列を十分有効に利用することができる。それによって表現形質の変動を説明するような違いがどこにあるかを正確に見つけるだけでなく、共通な保存されたDNA領域、すなわち全ての生物種のDNAに見られる配列を決定するのである。多くの研究者が「ヒトゲノム・プロジェクト」ではなく「ゲノム・プロジェクト」と呼ぶべきであると感じているのはこのためである。
配列決定プロジェクトによって分子生物学が全般的に提起した重要な問題が、新たな関心を呼び起こした。当然のことながら、一般の人達からは、科学者が人間のDNAを操作し続けるべきか、また他の生物のDNAもいじるべきか、または配列決定プロジェクトによって発見された知識が新しい形の優生学に悪用されないか、といった問いかけがある。
これに加えて科学者はもっと実際的で、この膨大な配列決定の仕事に従事するか否かを決定することに直接関係する四つの懸念を表明している。第一に、この困難な仕事を遂行するための実験方法はあるが、それらは期待するほど効率的であろうか、第二に、プロジェクトは科学的に価値があるだろうか。つまり、そこから得られる情報はそれに要した仕事と資源の量にふさわしいものなのか。第三に、基礎研究に従事する研究室が配列決定工場になるおそれはないか、つまり健全な科学が技術的な決定主義に取って代わられることになりはしないか。そして第四に、このような規模のプロジェクトに必要な資金を他の基礎研究分野の活力維持にもっと有効に使えるのではないか、と言うのである。
分子生物学は化学者たちが自分自身に問いかけをするだけではなく、即座に仕事の再検討もする研究分野である。基礎研究を支える財政的援助は先進国に限られている。さらに科学者たちは遺伝情報が悪用される危険性にも気がついてあり、作り出されてデータには全面的な責任を持たなければならず、遺伝的情報は人間の健康状態を改善するためにのみ使うべきであるということをよくわきまえている。こういった懸念には1975年のアシロマ会議での激しい議輪が反映されているのであり、この15年間に開かれた多くの会議や委員会でつねに検討されてきたのである。