『上司の気に入るようにやったのに叱られた。』酒場でよく耳にするグチである。

同情したいところだが、叱られて当然だったかもしれない。彼は上司の気に入るように行動したつもりだが、多くの場合、それは『フリ』であることが多い。本心は、実は別な所にある。従ってこの『フリ』はアドバイスや指導の妨げになることが多い。何かを教えると『ハイ』とニコニコ顔で返事するものの、それは教えている上司へのお愛想に過ぎず、本心は上の空だからである。従って何時まで経っても、何も覚えられない。そこで「あいつは頭の悪い奴だ」ということになる。他人の言うことに心を向けないのだから当然だ。

上司がそれを苦々しく思ったのは、『フリ』が真のコミュニケーションを不能にするからだ。W・ライヒはこの『誇張された親しみ』を、『性格の癖で武装している』と評した。彼らの特徴は、社会に出る直前まで家で甘やかされていたところにある。訓練を受けていないため社会にうまく適応できないが、甘えん坊の自分を自己改造する健気さも勇気もない。そこで当面の敵(上司や先輩)との摩擦を避けるため『誇張された親しみ』を示す。そして反面、心をピタッと閉ざしてしまうのである。

かつてこの傾向は女性に限られていた。世間の荒波にとても立ち向かえない自信の無さから従順を装い、周囲の意見に合わせはするものの、本心は別のところに隠す。だからライヒはこれを『女性的受身的姿勢』と呼んだのだが、最近では、女性よりもむしろ若い男性にこの傾向が強まっている。

時には自分をさらけ出して傷つき、相手と衝突しながら本質的なものを掴んで逞しく成長していく本来の男の生き方が失われ、『争わない』『ハメを外さない』『うまく振る舞う』と言ったお坊ちゃん風の処世術が普通になってしまっているのである。これでは『頭がよくなる』はずがない。脳ミソが安全圏の中で居眠りを始め、だんだん錆びついてくるのである。

フロイトはこれを『反動形成』という言葉で説明している。他人の悪口を言わず、誰にでも親切で約束を破らず、お洒落で身の回りを清潔に持ち、いつも穏やかな態度を崩さない立派な青年なのだが、どこかぎごちない印象がある。こういう人とデートするとゾッとする体験を味わうことになるかもしれない。彼の本心は、人間嫌いでサディスト、一人暮らしの部屋の本棚には、オカルトや変態趣味の本がぎっしり並んでいたりするからである。反動形成とは、『最初の欲望を抑圧し、反動として全く反対の態度』を取ることである。

スポットライ卜を浴びたい人が裏方に回る。嫌いな人に愛想を振りまく、臆病な人がボクサーを目指す等、彼らは本当の顔を「仮面」の下に隠すことによって自分を守ろうとしているのである。世間と合わない本物の自分をさらけ出さない。それが現実機能を停滞させ、結局人当たりは良いが仕事ができない原因を作り出す。そもそも頭脳は危機的な時に働くようにできている。なにしろ人類は、牙の代わりに頭脳を使って長年の生存競争を勝ち残ってきたのだ。頭脳は闘争的な器官であることを示している。