例えば、消化管や血管を動かす平滑筋の収縮や弛緩を制御している因子について、改めて考えてみます。

タンパク質のトロポニンは、骨格筋や心筋に存在していて、カルシウムの有無に応じて収縮や弛緩を制御していますが、平滑筋には存在していません。現在、教科書には、筋繊維を構成しているタンパク質のミオシンが、カルシウム依存性の酵素によってリン酸化すれば、収縮が起きると説明してあります。しかしトロポニンのような制御因子が在るはずだという考え方もあります。

リン酸化酵素は体のあらゆる細胞で働いており、重要な役割を果たすケ一スも多いが、無意味なことも在ります。骨格筋でもリン酸化は起きていますが、収縮に関係ないことが、今までにわかっています。みんなそうした歴史的経緯を無視して、リン酸化万能と思い込んでいます。平滑筋では確かにリン酸化が収縮に並行して起きます。だからと言ってリン酸化だけで説明するのはおかしい。何らかの制御因子があると再考すべきでしよう。色々に実験結果が異なるのは、実験素材の違いもあるはずで、例えば、実験素材のミオシンが変性している場合も考えなくてはなりません。

研究者には、答えでなくて、問いが大切だとも考えられます。良い問いを立てて研究の出発点にしなくてはなりません。知的にワクワクさせられ、しかも、問いに挑戦すべきでしよう。学問は問いの体系です。研究の結果、分かった事実の集合、つまり答えの体系でもありますが、より本質的には問いの体系であります。「あれは何か」「これは何故か」という疑問の連続です。学者とは、先ず問い掛けをする人のことであります。学問(研究)は、その学び(研究)の対象に対して何を問うべきか、から始まります。何を研究(学ぶ)すべきかを考える、問題探求のための研究だとも言えます。多くの問題群を整理する作業からも、新しい問題への展開も多いに在り得ます。

学ぶということは、心が頭脳を活性化させることでもあります。脳の機能活動が心であることを考えますと、心を何処に置き、何時どう働かせるのかが「問いの体系」と「答えの体系」を調和させてくれるでしよう。学問(学ぶ)するとは、心する心の使い方とも言えます。学ぶ中心エネルギーは心そのものです。「自分自身の存在が周囲に喜ばれていると自覚出来る時に、心が活性化します」それが学問の持っている心的効果で、その心的効果が学問の推進力でもあります。

人間の脳細胞は胎児期を過ぎますと分裂分化しません。だから一度壊れた細胞は再生しません。しかし壊れた細胞の代わりに別の細胞が新しいネットワーク回路を形成して、機能を代替えすることも在り得ます。心は、学びは、その働きを加速させるものです。外部から脳に入る様々な情報は、学ぶ、心と言うフィルターを通してこそ活性化されます。