幸福をつかみやすい考え方は、他人を羨やまず、苦痛と結びついて経験される歓喜は、より深く、より長続きして、苦痛を経験することによって、さらに人生の値打ちが感じられるようになる。
人は誰でも『幸福になる資質』を与えられている。
その資質を開花させるためには、自分の身の廻りから、何時でも引き出せる「ささやかな幸せ」に気づくことである。人々の様々な言葉や態度も、自分の幸福になるためのものに活用できるものばかりである。その活用方法は、人々の様々な言葉や態度を、多種多様な考え方を創り出してくれるものに用いることである。これらが一体となって、心の全般的な性向を決めてくれる。それは、どんなものにも、幸福は見出せるということである。これには、現実を楽しく受け入れる必要があり、現実を如何に楽しく受け入れられるかが、現実を改善できる方法なのである。現実を受け入れないで、心の葛藤に悩む人は、現実を改良する能力もない、ただ不満を言っているだけで、現実と真剣に取り組まないからである。
『夢は齢を選ばない!』
まさにその通りで、こうした幸福をつかむためには齢はもちろん、現在の立場や環境にも関係なく、例え、どんな病身であっても、心の幸福を自分のものにすることが出来る。それは、高齢で、職も無く、財産も無く、これと友人も無くても、あなたに考えるという心の働きを使うことが出来るなら、何時でも、自分のものにすることが出来ます。考えるという世界には誰の支配や指図も介入できません。その中で大いに学ぶことです。ここに私たち誰にも与えられている「幸福になる資質」学ぶことを再確認しましょう。生きて行く中で、学びから得られるものは、想像も出来ないほど豊かなものが与えられます。そして、学ぶものは、自分の身の廻りに一杯あります。そして、学べば学ぶほど、学ばなければならないことが増えて来ます。それは、知れば知るほど、知らないことが増えて来るということです。
学ぶことは年齢を選ばない!
誰もが、自由に学べるというこの考え方の世界こそ、誰にも与えられている財産です。この素晴らしい財産を使わずに、いや気づきもしないで生きている人々の多いことを知らされます。何で、生きていることの素晴らしさに気づかないのか?ただただ残念です。多くの人々が、齢だから、金が無いから、病気だから、何々だからと学ばない理由を挙げる人は、自分に与えられている財産の素晴らしさに気づかないどころか、知らなくても良いことを知りたがり不平不満を並べるだけで、貴重な時間を無駄に過ごしています。
学ぼうとする時に遅い時はありません。考えることが出来れば誰にも出来ることです。