10月5日はプライベートで甲子園球場に行きました。
一人の選手の引退セレモニーを見届けたい!その思いからこの日はすべての予定をキャンセルして向かいました。
その選手とは阪神タイガースの桧山進次郎選手。
在籍22年、私が中学3年生の時にドラフト4位で入団した選手です。
1992年といえば、新庄選手や亀山選手が活躍し、85年の日本一以来低迷していた中、唯一優勝争いを繰り広げた年でした。しかしその年を境に2001年まで10年連続Bクラス入り、そのうち6回が6位という暗黒時代でした。その暗黒時代の中、一時は4番打者を務めチームの中軸として活躍してきました。
28打席連続ヒットとか、サイクルヒットとかすごい記録もありますが、新庄選手と並んで三振クリンナップといわれるほど三振が多かったりもして、歴史に残るプロ野球選手と比べると、結果として残る成績は並なのかもしれませんが、とにかく明るいキャラクターで憎めなく、2003年優勝した時には祝勝会ではビールマンになったり、日本シリーズではシリーズ最優秀選手になったり、とにかく何かと目立つ記憶に残る名選手でありました。
決して天才ではないけども、チームが勝つというのにはムードメーカーは必要な役割で、しかも結果を残さなければならないプロの世界で続けることができるということは、それは表には出ない努力を常にし続けたことと思います。
晩年は、代打の切り札として、八木選手に続く代打の神様として活躍し、たった1打席で結果を出さなければならないということを5年以上も続けてきました。
小学生の頃から阪神タイガースファンの私としては、間違いなく記憶に残る名選手であり、桧山の引退試合を彼の守備位置近くのライトスタンドで見れたのはは本当にラッキーでした。結果は3打席凡退でしたが、久々のスタメンということで、守備についた桧山選手は声援を送られるたびになんだか照れくさそうにしていました。どのような気持ちでライトの守備位置から球場全体を見ていたのでしょうかね。
プロの世界は厳しく、ほぼ全員が努力を重ねています。桧山選手よりよい結果を残している選手でさえ、戦力外通告でやめざるをえない選手はたくさんいます。居場所を求めFAする選手も多い中、桧山選手も1度FA宣言したことがありましたが、最後まで同一球団で引退セレモニーという形で有終の美を飾るということはきっと選手冥利に尽きることと思います。決して狙ってできることではなく、桧山選手の日々の結果がそうさせたのだのでしょう。私も見習わないとと強く思いました。ひーやん、引退おめでとう!