人間は生きていくための情報の約90%を目(視覚)から得ている。それをウサギは主として耳(聴覚)から得ているし、犬は鼻(嗅覚)から得ています。人間は目玉の動物とも言えますが、目から入ったおびただしい刺激(情報)は、神経によって大脳の後ろの方に送り込まれ、そこの皮質で画像として映し取っているのです。いわば目から入った映像を頭脳の後方スクリ一ンに映して、私たちは見ていることになります。
さらに分かっているのは、顔面の筋肉を動かしたり、顔の痛みを感じたり、音を聞き分ける、食べたものや飲料を飲み込む、心臓や肺の機能を保つ、これらのために脳は左右12対の神経が配線されていて、そこへ伝達された情報によって対応しているのです。そして脳からおしりの方まで脊髄がありまして、この脊髄神経から出ている32対の知覚・運動神経を軸として、頭のてっぺんから足のつま先まで、全身にくまなく神経繊維が電話線のように張り巡らされています。
すなわち、頸には脊髄神経が8対あって、胸部に12対、腰部に5対、その下にもあって、合計31対の脊髄システムができています。その、それぞれの系列の電話線から情報を取り込み、脳へ送っているわけです。このほか、俗に「植物神経系」と言われる神経網があって、目玉の瞳孔を動かしたり、鳥肌をたてたり、よだれを流したり、気管を収縮させたり、心臓や胃や腸を動かしたり、あるいは、胆汁を出すとか、腎臓の働きを調節する、膀胱をコントロールする、生殖器を管理する、といった機能をつかさどっています。これらの臓器・組織から脳へ刺激(情報)を送り込み、逆に脳からの指令によって、これら全ての臓器が正常に働くようにしているのです。
このように脳へは、あらゆる内臓から1秒間に何十万というパルス、刺激が伝わっていると思われています。それが全て大脳皮質に間断なく殺到したら、とたんに処理できなくなって、お手あげになってしまうでしょう。しかしそこは絶妙にできていて、生きていくのに必要な信号だけを選び分けて、大脳皮質へ伝えています。その選択されて大脳へ入った情報をもとにして、手を動かせ、足は動かすな、しゃべれ、黙れ、考えよ、などの命令や思考が出て来るわけです。
脳は、より強い刺激に対して反応し、そういう刺激を間断なく選択し処理して、人間の生きていく営みを統御してくれているのです。脳神経細胞が日に10万個以上減り続けているのも、老いて死を迎える準備過程ともいえます。脳神経細胞の総数が成人後減り続けるため、記憶も適当に加減され、年をとるにつれて物覚えが悪くなり、記憶も薄れて行くので、この現象は老いて死を迎える観点から人間にとって都合のよいことと思われます。
新しい出来事は皆忘れて、遠い昔の思い出を懐かしむようになってお迎えが怖くなくなるのかもしれません。逆に記憶がどんどん増える一方で、未来が鮮明に見渡せるようになったら、安らかな死を迎えるどころか、頭がおかしくなって狂い死にしかねないでしょう。人間の寿命と脳の働きの期間とはサムシング・グレートに任されているのでしょう。