全ての事について、正常と異常はすっきりと割り切れるものであろうか?
医学の場合においても、健康と病気の問題に関して、医師の正常に対する見方、考え方についても、正常か異常かは、治療の根本問題であり、たえず検討を加えなければならないものである。
それは決して不変固定のものではなく、日常の仕事をして行く上の目安として、一応の基準を使っているのに過ぎない。
医師が学究・進歩の姿勢を失い、仕事が停滞化してくると、その基準を絶対化してしまうことがある。
自らがその基準に捕らわれ過ぎると、新しい事態に即応出来なくなってしまうのではないか。
数値によって、先入観を持つことの危険性は測り知れないものがあるはず。例えば高血圧は、かつてはその基準として(年齢プラス90)の数値が使われてきた。
それよりも高ければ高血圧、それ以下ならば心配ないというふうに、一般に理解されており、まだ現在でもこういうふうに理解している人がおられるに違いない。
しかし実際には、高血圧かどうかを決めるためには、最高血圧ばかりではなく、最小血圧や両者の差がどうかといったことの方が重要である。
また加齢(老化)を示す動脈硬化症の指標の一つとして、血清コレステロール値が問題になっている。これについても誤解がある。
臨床的には血清コレステロール値が200mg/dlくらいを正常と異常の基準として使用しているが、必ずしもそれが人間の老化を正確に反映するものではないことが、明らかになっている。
人間を対象とした医学では一つの病気を珍断するにも、限られた少数の指標だけで正常か異常かを決めるのは難しい。
医学において、正常と異常を決めにくい理由として、身体側の問題として、第一は生体現象が非常に不確定性を持っていることがある。
生体現象は物理現象のように因果関係がはっきりしていないので、むしろ正常か異常かということを、統計的操作によって区分する方向にある。従ってその区分は、あくまで一応の目安であって、決定的なものでないことを忘れてはならない。
生体は全体性を持っているので、全体的な視点で理解しなければならないことがある。
身体の一現象のみについての正常、異常の判断だけから、全体の問題を論じるのは非常に危険なことが多い。
正常か異常かを区別する前提となる(測定する)ことの中にも問題がある。
一つは、測定検査手段や機器の精度、誤差の問題である。測定する機器の方に或る程度の幅があることを忘れて、結果である測定値だけを見て断定的に正常・異常を断定してはならない。
一回の検査結果は多くの場合、ある傾向を示すのにすぎないのである。
さらに、測定する側の価値観が基準を決める時、入ってくることを忘れてはならない。
特に、精神とか感情面における基準決定にその傾向が強い。一つの基準として、反社会性という概念が使われる。
精神障害の場合に、病気であるかないかを決める一つの基準として、長い間(自傷他害)とか反社会的な行動ということが言われてきた。
社会性と言うことは、社会の内容が立場によって違う以上、複雑な問題を含み、簡単に答えが出せない。