自分の身体は自分のものですか?自分のものなら、自分の自由になるはず、少し足を長くしたいと思っても出来ません。心臓や肺がくたびれているから、今日は休み、と言うわけにはいきません。それどころか、眠っていても、心臓も肺も、せっせと働いています。そして、もっと生きていたいと願っても、寿命が来れば大自然に返さなければなりません。

自分の自由にならない、自分の身体ということは、寿命の間だけ大自然から借りているという預かりものとして、この世に生活しているのではないでしょうか。

眼に見えない細胞一個でも、細胞の核の遺伝子は、宇宙に相当する真皮が隠されています。その細胞一個の生命も、現在の科学、医学では解明出来ていません。だから小宇宙と呼ばれています。この命を創ることはできません。両親が子どもを創ったといいますが、両親だけでは子どもは創れません。両親はそのきっかけを与えて、栄養を与えたくらいのものです。

このような素晴らしい預かり物を与えてもらっている私達はそれに対して感謝しているのでしょうか?例えば、1億円貰ったら私達は大喜びするでしょうけど、何兆円出しても、どんな学者が逆立ちしても創れない「預かりもの」を与えられて感謝していない。

多くの人が、預けられている遺伝子暗号の素晴らしい情報を集めてくれた大自然に感謝していません。頭で理解しても、この命の「預かりもの」ということを身体で感じ取り、毎日感謝しながら生活できれば、素晴らしい人生が送れると思います。

この世の中に「落ちこぼれ」などは一人もいません。

例えば雑草は役立たずと思われていますが、雑草は多種多様で見れば見るほど味があり、空き地に緑を与え、可愛い花を咲かし目を楽しませてくれます。雑草は踏まれても引きぬかれても、また芽生えてくるたくましい生命力を持っています。この適応力、忍耐力、生活力も基本的には遺伝子情報にちゃんと書き込まれています。そして人間の中には、もっともっと多様性が有り、一見平凡な人に見えても、その中には無限ともいうべき可能性を隠し持っています。それらの真皮や遺伝子の素晴らしさは、全ての人間に存在しています。

受精によって、父親の染色体と母親の染色体が混ぜられて、子どもの細胞に渡されます。この時一方の組にある遺伝子が傷ついても、他方の親の遺伝子を利用すれば正常に育っていけるようになります。そしてどちらか片方が傷ついた時はお手本が残されていて修正が可能なのです。ところがこの欠陥が子どもから孫へ、世代を重ねるに連れて溜まってくると、両方が傷つき、ついに滅亡してしまうことになります。しかし生物は自己の種族保存のために、コレを解消する巧妙な仕組みを持っています。それはその一部を互いに入れ替えて、「組み換え」をするのです。最近の遺伝子(DNA)組み換え実験のはるか以前から、生物は遺伝子を組み換えて進化してきたのです。この場合良い組み合わせを貰った細胞だけが、生存競争に打ち勝って、生き残る仕組みになっています。だからこの世に生まれてきたヒトは、すでに生存競争に打ち勝ってきたのです。「落ちこぼれ」なんて誰もいません。世界中の学者でも、世界中の金を使っても創れない価値があります。

だが多くの場合は、残念ながら、その中に隠された可能件を十分に活用していないのです。その人でなければならないような長所や特徴が在るのに、十分に発揮されていないのです。

せっかくそれぞれの人に与えられている宝が在るのに、その扉を開けずに過ごしていることは残念です。常に絶えざる努力をしている人は、美しい花を咲かせることが出来るのです。科学技術は、これからもどんどん進歩していきます。それを人問のより良い暮らしに役立ててこそ意味があります。