人は喋る時にも遺伝子が働かないと喋れません。言語情報を脳から取り出ず時には遺伝子の働きがいるのです。物を持ち上げる時も、字を書く時も、何かを実行するためには遺伝子の働きがどうしても必要になってきます。またブタや牛を食べても人が豚や牛にならないのは、遺伝子が働いてくれるからです。人が生きる上で、遺伝子は普通に考えている以上に直接的な働きをしています。そしてこれら遺伝子の構造と原理は、全ての生物に共通しています。現在の地球上には200万種以上の生物がいて、カビも大腸菌も植物も動物も人も同じ原理ということは、全ての生物が同じ起源を持つことを示しています。
特に遺伝子で興味深いのは、原理は同じなのに、その組み合わせによって、2つと同じものがないことです。一組の両親から生まれる子どもには70兆通りの組み合わせがあります。秀才と美人が結婚しても「美男の秀才」が生まれるとは限りません。秀才のお父さんの顔と美人のお母さんの頭なんてこともあるわけです。そして別の見方をすれば、あなたがこの世に生まれて来たということは、70兆という莫大な数の可能性の中からたまたま選ばれて、この世に存在しているわけで、それだけでもたいへん貴重だということなのです。
コンピューターの発達で遺伝子の暗号解読が容易になり、いま世界中でヒト遺伝子の暗号解読が進められ、21世紀の早い時期にその全部が明らかになると思われますが、そうすると、いったい誰がこんな凄い遺伝子を書いたのか思うことがあります。前述しました、DNAの構造一つをとっても、化学の文字がそれぞれ対になってきちんと並んでいる。ちょっとにわかには信じられない不思議でもあります。遺伝子の暗号は、人自身に書けるはずがないのは初めから判っています。では自然に出来上がったのでしょうか?生命のもとになる素材は自然界に幾らでも存在しています。しかし材料がいくらあったとしても、自然に生命ができたとはとても思えません。もしそんなことができるなら、車の部品を一式揃えておけば、自然に自動車が組み立てられるということになります。そんなことが起こるはずもありません。
これはどうしても、人間を超えた何か大きな存在を意識せざるを得なくなってきます。それが「サムシング・グレート」というわけです。そうした存在や働きを想定しないと、小さな細胞の中に膨大な生命の設計図を持ち、これだけ精妙な働きをする生命の世界を当然のこととして受け入れ難いと思います。
人は自然に挑戦するとか、自然を征服するとか、色々と勇ましいことを言っているけれど、大自然の不思讓な力で生かされているという側面も忘れてはいけないと思います。
「子供を造る」ということも、私たちにとっては、生命が生まれるきっかけを与えることと、生まれてから栄養を与えることぐらいで、後は精巧に仕組まれた生命原理が働くことによって自然に育てられています。