思想に関する幾つかの学派では、科学者は研究する対象を詳細に分析したり、対象の外側に止まるのではなく、その研究対象と一体であると考えるべきだ、と示唆するに至った。ゲーテは、科学者は研究対象を内にあるものとして分析すべきであると主張し、ニーチェは社会の堕落を予告して、科学者の客観性は彼の事実認識に対する実態のない信頼と同様に、活力減少の徴候を示すようになって来たと主張した。このテーマをシュペングラーが更に発展させたが、彼は1920年に、科学的及び知的なエリートの活力と、そのほかの大衆の活力との分裂は間違いなく西洋の没落の徴候になっていると書いた。シュペングラーの見解は、ナチズムがその幾つかから着想を得たことによって批判されることになったが、科学史家及び哲学者としての彼の仕事には、特に科学と社会の関連を考える上では、肯定されるべきものがある。私達は、科学及び科学者の社会と文化に対する責任を考えることを決して止めてはいけないのである。
1991年には、技術開発競争の狂騒が去り、振り子は純粋に論理的な視点から振り戻って、道徳的な問題の役割が増して来ている。この傾向は次の10年間にも続くだろうし、新しいイデオロギー的、地政学的均衡を促すだろう。一つ一つの国家の内部での考え方が、より大きく画一化へ向かう傾向が世界中に広がるだろうし、これは国家間の調和を強化するだろう。超大国は外の国々に対する審判人の役割から引き下がり、自分自身の問題、つまりソ連は自分の枠内に、アメリカは貧困問題にその関心を集中して、他国に対するその直接の政治的影響力は弱くなるだろう。もちろん、大きな対決は先進国を必ず巻き込んで、人道的、イデオロギー的、または経済的な動機によって、あちらこちらで起こり続けるだろう。
湾岸戦争とその結末は、特に代表的な、そして劇的な挿話である。連合軍はイラク軍を壊滅させ得る戦力を備えていたにもかかわらず、イラク軍をクゥエートから撤退させるという国連からの委任を達成したところで停戦した。この2年間に共産主義の基礎は激しく揺さぶられたが、それでもなお、世界は閉じた多文化システムで、ある部分での変化はどこか別の部分での変化を引き起こし、喪失の代わりに獲得が起こる。イデオロギー的、政治的な衝突は和らげられるが、直感と主観の印である宗教的な紛争がそれに代わって起こっている。次の10年間は寛容の時代であろう。不寛容には耐えられないとよく聞かれるようになって来た。世論は自然の大災害であろうと人間によるものであろうと、不正と災害には敏感になって来ており、混乱や飢餓、人種・文化・民族による差別に対する意識が高くなって来ている。もう一つ重要な関心事として生態学が上げられる。この言葉はもはや、社会の多くの人達からかけ離れた一部の活動家の独占物ではないし、現在人々が論じていることはもはや「ヒッピー後」とラベルを貼られた生態学ではなく、人間という種によって生態系に与えられたダダメージを止め、生態系をもとの状態へ戻すことを合理的で確実に行える方法を地球規模で採用することを目的とする生態学である。